デジタル脳クライシス」より
情報を表面的にかすめ取ることで…底が浅い理解…知ったかぶりが常態化している 
偏愛的漢詩雑記帳」より
近年は一層「つまみ食い」に…本は読むものではなく、研究のために「使う」ものに…その時、書物は「資料」に成り下がる

自習力シリーズのブログなどでも再三、しつこくお伝えしてきているように、自分の手で紙に書くこと・しっかり紙の本を読むこと…アナログ的な方法が、人間の考える力の育成、学びには不可欠!というお話し…
安易なデジタル依存が、頭脳をダメにしているのでは?という危惧・警告が、東大の言語脳科学者の教授(「デジタル脳クライシス」酒井邦嘉(朝日新書)と、京大の中国文学の名誉教授(「偏愛的漢詩雑記帳」川合康三(大修館書店)という、ある意味非常に対照的?な先生方の著書に似たようなことが書かれていました。

「デジタル脳クライシス」には、勉強方法で、必要なことがたくさん書かれています。何より、授業はノートの手書きでメモることが絶対必要…手で書く時点で、同時に重要度の判断がなされた内容になり、理解し始め、よりしっかり定着し、応用の利く知識となる…とのこと。授業ノートの板書をカメラで撮る生徒が結構いるらしい…また、穴埋めの記入をしたプリントを持ち帰るだけとか、レジュメを配信されてそれで終わりとか…学力が低下して当たり前だと思っていました。やはりか!!

また、授業で「先生が待ってくれないから、ノートが取れない」という生徒が中高生でも少なくない…「聞きながら取れば良いでしょ」と言うと「え~無理」とか言われて呆れていましたが、マルチタスク=同時進行が、頭脳を鍛えるのにとても有効だとも書かれています。(でも、小学校で先生の話を聞く時間と板書させる時間を分ける…それもかなり強力に指導…というのは知りませんでした。なんで?)

また、電子辞書の使用はお勧めしない…紙辞書で引いて…と言い続けていいますが、それは用例が少ないし、表示画面が小さく、得られる情報が少ない…と言ってきましたが、それとは反対の問題もあると気付かされました。
「偏愛的漢詩雑記帳」に・・・電子検索の問題は、あらゆる用例が「平等」に(しかも大量に)出てきてしまうことだ。語はもともと平等ではない。文脈の中に置かれて帯びる意味や軽重の違いがある…その違いが、検索ではわからない。…と書かれていて、なるほど!確かに!と思いました。
優秀な生徒なのに、国語のテストの語彙問題でミスを多発…ということが最近多くなっているようで、心配していましたが、理由が分かった気がします。国語でも辞書をちゃんと引いて考える・・・をほとんどしない生徒が増えているのです。

どちらの先生も日本の最高学府で長年、学問・教育に携わってこられた方なので、学ぶことがとても多い、ガッツリと手応えのある読書でした。ちなみに「デジタル脳クライシス」は、仕事上での興味+半ば義務感?から、「偏愛的漢詩雑記帳」は、個人的興味から選びました。
もちろん、このブログは、先生方の著書のつまみ食いにもならないぐらい少しだけのご紹介ですので、興味を持たれた方は、実際に読むことをお勧めします。(ただし、ざっと読み飛ばすとかは無理な本なので、そのおつもりで…)

追記:このブログを掲載した、まさにその日発売の文春に「デジタル教育で日本人がバカになる!」という記事が載りました。
やってくれるわ~私が使いたかったけど、怖くて使わなかった形容詞使ってるし…(私は関西人なので、想定したのは関西系の形容詞ですが…)さっすが、怖いもの無しの文春!!と妙に感嘆(感動ではない)してしまった…・。 ひとつ、感動したのは、スウェーデンが紙の教科書の復活を決めたという件。2006年から端末導入始めたら、PISA(国際学習到達度調査)で、2018年11位⤵2022年18位に転落という事実を重視したものらしいです。





神戸市灘区(六甲と六甲道の間)で、小学4年~高校3年の女子対象に個別指導を40年続けている
ATHENE(アテネ)の塾長 櫻井久仁子